【不調の原因】みんな最後の方しか覚えていない
その他
※健康保険を取り扱うためには「原因」(どのようにしてそうなったか)が必要ですが、それは制度上のものですので、今回のテーマとは少し意味合いが異なります。
「重いものを持ち上げようとして腰を痛めました」
「交通事故でムチウチになって首が痛くなりました」
というように体にトラブルが起こる「何かしらのきっかけ」があった人も多いのではないでしょうか?
でも本当にそれ(きっかけ)が「全て」か?と言えば
そうじゃない人がほとんどです。
原因は常に積み重なっていくものなので
例えば
容量が100として
80を超えると症状として現れるとします。
そうすると「79までは症状としては現れない」ということになります。
しかし、厳密には60くらいを超えてくると
疲れ
だるさ
しんどさ
違和感
など、何かしらの「そろそろ溜まってきたよー」というサインはあります。
「最近忙しいからちょっとしんどい(60)」
や「慢性的な肩こり(70)」という状態で
重いものを持つ(+25)
交通事故(+35)
という行為が加わるとぎっくり腰やムチウチといった状態になるわけです。
しかし人間は都合よく?できているので
「重いものをもって痛めた」
「交通事故でムチウチになった」
と思ってしまいがちです。
逆にいうと、今までの蓄積があまりないと
重いものを持っても
交通事故に遭っても
「意外と大丈夫だった」ということはよくあります。
これは子ども(あまり蓄積がない)をイメージしてもらうとわかりやすいかもしれません。
ではなぜそう思ってしまうか?(最後だけが原因だ)というと
その方が都合がいいから
です。
「最後だけを原因にしてしまえば、今まで自分が貯めてきたものがチャラになる」
ような気がするからですね。
でも実際はそう都合よくはなく、治療して体を治していく過程では
「最後のきっかけ<今までの蓄積」
ここを見直していくということをしなければいけません。
もちろん最後のきっかけは印象に残りやすいし、蓄積度合いも大きい(+1、2ではなく、10以上であった場合)と引っ張られやすくなります。
引っ張られ過ぎてしまうと、
治療も「1回で治したい」「短期間で」「明日には仕事があるから」
こうなってしまいます。
積み重ねて発症したものは、積み重ねて治していくしかないのです。
この本質を見失うと本当に拗れてしまう可能性もあるので、
「落ち着いて自分を振り返る」
ということがとても大切な考え方です。